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「思考」という慰め


現代は、文明が発展し、利便性が追求された結果、サイバーネットワークができあがった。

それによって人と人との関係はより深くなってゆくだろうと、インターネット黎明期の人々は思ったかもしれない。ネットに接続し思ったことを直ちに世界へ発信することができる時代になり、言葉が溢れかえることになる。溢れかえった言葉のなかでは真をついた発言もデタラメな発言もごちゃまぜになった。

なにを信じて生きてゆけばいいのか。

なにがその動機の根拠になるのか。

インターネットは非常に便利なツールであるが、異常ともいえる情報量の多さを前に、若者たちはその点では以前の日本人より混迷しやすい状況にある。

便利なツール。だが、どこまでいってもツールでしかない。

だとすれば、混迷から脱出するために不可欠なのはそのツールの使い方ではなく、主体それ自体の問題である。

この主体は、どのようにすれば改鋳できるのだろうか。

当然ながらこういった類の難題は、単なるハウツー本では解決は見出せそうにないのである。

表層を撫でるだけの言葉の列挙によっては、無意識の内奥にある深みにまで波及しない。

私は言葉による(無)意識の深層構造へのなんらかの影響を信じている(言葉が脳内の回路を形成することに一役買っていることはある程度、科学的なエビデンスがあるわけだし)。

こうすればこうなる、といったようなある種、機械仕掛けの短絡的ともいえる思考法では、現今の複雑怪奇な社会で生きて行くに足る地盤は得られない。


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