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まなび


学ぶ行為ついての考察したい。

どういった在り方へ向かうべきなんだろうという”自分への問い”として残しておきたい。

そのような動機からブログに書き残します。あくまで私感であります。それでいてこの私感もどんどん変わっていくもんですから、見て来た映像をいったん封印するといった意味で「思いでアルバム」みたいなもんでしょうか

学習・・大辞泉(ただ手元に置いてあっただけですが)による定義は以下のようなものである

”人間も含めて動物が生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度・行動などを身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。”

定義では、知識・環境に適応する主体を形成するプロセスとしている。

知識は、書物や理論書・論文から学ぶところが多い。成文化された概念をどのようにして実体的に現成させるか。現場にいかにして編入させてゆくか。書物による学習においてははそのような哲学的な問いがより顕著になる。

言葉が有機的(あたかも生命をもったかのように)に主体に働きかけるとき(換言すれば、生々しい切迫感や心象を喚起させる言葉(音))、それを紡いでいる(きた)文脈はどうなっているのだろう。

目視できないそれらの構造的背景は、意識の及ばない領域に常に働きかける。

別の切り口から考えてみると、現在の脳科学ではルーティンワークが、無意識の心的状態に影響を与えていることが知られているそうだ。ルーティン自体は意識的にある程度の操作は可能だが、状況や環境の制約を受けることは免れられない。音楽家は特にイレギュラーな生活を余儀なくされるケースが多いため、徹底しようとしたならば当然、自己の生活管理を気にしながら、過ごさなければならない。カンタンなようでムズカシイ話、世間に合わせて変えればいいだけですけど・・(ちなみに野球のイチロー選手は毎日同じ”順番”で練習内容を組み、問題がない限りそれを維持する。遠征の場合は難しいが、毎日同じルーティンを積み重ねてゆけばバイオリズムの”テンポ感”が身体感覚・神経系・精神面の微妙な差異とかズレを感知するのではないだろうか)。

経験によって得られた成功・失敗の記憶は少しずつ、時間をかけて脳内で処理される。次に同じようなことが起きれば、うまくすれば対処できるようになっているはずである。

楽器演奏の練習でも失敗した場合には、不快感を避けたいが為に改善しようと努める。よく反復練習の善し悪しが議論となることがあるが、二元論的には解決できそうもないと私は思う。善悪(褒貶もそうだが)が前景化すると多分に主観に陥るきらいがあるからである。

単に不快が動力として機能しているとも考えられる。その”不快”は、どこかで聴いたより美しい他人の演奏であるとか、うまくいったときの自分の演奏だとかと頭の中で比較され、導きだされる。

もちろん、不快感はあくまで意欲があって生じるので、より − 例えば演奏家であれば、音楽的な音を目指して普段から内省する訓練を続けていなければならない。

ただ、学習意欲”を”強要されると(自分によっても他者によっても)かえって意気阻喪するのが通例である・・学習意欲それ自体を思考によって触発せしめることは困難で、行為から事後的に湧出するのを待つしかない

しかし持ち合わせの度量衡を総動員させてもわからない、難題に往生することも多々ある。今のその問題に於ける自分の全能性を否定しなければ、ブレークスルーはできない。ブレークスルーの瞬間は、学問に伏流している流れをどうにか捕捉し、把持しようとするインセンティブ(強烈な学習意欲)があり、なおかつ毎日、欠かさず問題を提起し、それらを咀嚼し、嚥下し、反芻を繰り返し、それが蓄積した結果、堰を切ったように”なにか”が流れ出す、そのような瞬間である。学習のプロセスは、このようなダイナミックな様相であるのが本態なんじゃないかと思う。現場で仕事をしている真っ最中も、机に向かう勉強の最中も同様の現象が内的に生じている。知識獲得プロセスは考えてみれば、極めてダイナミック(力動的)な営みである。

そうして血肉化された概念を現場でアナロジック(類推的)に展開して、文化継承に一役買う、ということもできるだろうし、それをまた別の人が別の場所に展開するということもありうる。そう考えてみると、大辞泉の「学習」の定義にあった、環境に適応する態度・行動につながってくるかもしれない。

また演奏の話になるけれども、変な癖をつけることに一生懸命になってしまっているときもあるし、でもそんな変な癖が、”独特の味わい”を醸し出す可能性が全くないとも言えないのであります。”非効率的なポジショニング”とか”アップボウのときだけやたら音がでかくなる”といった次元の演奏レベルをクリアーした上で現れてくる癖の話であるが、しかし、クリアーしていなくても、ある瞬間にふと別の次元の演奏をすることもあったりするので、そういうところが音楽の演奏の面白いところであります。

う~む・・

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