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地下の構造


音楽家の社会的なポジションを考えたとき、「立場が人間をつくる」という言葉を思い出した。

長い間、不可解なことの一つ。。

”立場”は肩書きといってもいいし、社会的地位といった意味でも使われる。

その肩書きやら、社会的地位やらが、個人のキャラクター(性格)を決定的にしてしまうケースをよく見かける。なんでそんな一気に”染まって”しまうのかわからない。

肩書きの背後にはなんらかのモデルが存在しており、そのようなモデルに準ずるような仕方で誰もが仕事に従事しているのだ。と無意識的に思っているのではないか。その結果として「教員としてそのような行いは遺憾」「音楽の専門家であれば音楽の原初から現在までの経緯も知っていて当然だ」と言い表す。

それはテレビで報道されなかったとしても、褒貶は様々にしても身近に起こっていることである。

その、与えられた役職のながで、職務を全うせず、己の欲するがままに振る舞ったとしたら、当然クビである(心の欲する所に従って矩を踰えないってぐらい熟成していれば別でしょうけど・・)

己の能力はその社会的立場いかんによって規定を受け、職務内容の中で個性及び能力を発揮しなければならない。

全ては社会的な要請(ニーズ)のために?

社会という枠組みのなかに放り込まれた瞬間から、その人間は「社会人」という概念に属することになる。

「私は違う」と否定しても他人(世間)が決めていることで、変えようがない。

自分が、その場に適応するタイプ(型)に変性していく他はない。

「事務員タイプ」「教員タイプ」

それぞれのタイプに語法や言い回し、方法が伏在して、いわばその”潜伏している何か”が、当人のキャラクターを”立場色”に染めてしまっているのかもしれない。

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新たな問いとしての追記:2016/ Jan. 

 社会のニーズは一体なにを前提にして形成しているのかを考える必要がある。いかなる文脈がその場を形成しているか(文化らしい性質を発生せしめる条件とは)。単なる資本主義の幻影ではなかったか。

”潜伏している何か”はそもそもなにから推力を得て彼を人間たらしめるのだろうか。動物ではないと定義する根拠は。

・・・・memo・・・・・

構造主義

https://ja.wikipedia.org/wiki/構造主義

Claude Lévi-Strauss

https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・レヴィ=ストロース

Roland Barthes

「表徴の帝国」

https://ja.wikipedia.org/wiki/表徴の帝国

「零度のエクリチュール」

https://ja.wikipedia.org/wiki/零度のエクリチュール

Michel Foucault

https://ja.wikipedia.org/wiki/ミシェル・フーコー

『知の考古学』 中村雄二郎訳、河出書房新社


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